誰が得するんだよこのスレは"
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あほニュース.zip ライス国務長官の戦略的上目遣いでフェラされたい
覚えている限り、はじめて「誰得」のフレーズを見たスレッド。
メモ
しばしば現代の二次絵が遥か未来に得体も知れない芸術作品として扱われるのではないか、という話を聞くが、インターネットをはじめこれだけ世界中に情報を蓄積するハードウェアが存在する以上、二次絵が生まれた背景を含め、少なくとも得体の知れなさは排除されて未来へ伝わるのではないだろうか。(破壊の限りをつくす最終戦争が勃発したら別だが)。芸術作品として扱われるかはまた別次元の問題だが、文化のアーカイブの伝達性はこの20年で大きく進歩しているので、歴史を掘り起こすのに手間取ることの無い未来が待っていると思う。後は解釈の問題と、複雑大量の情報をいかに処理するかが未来の歴史家に必要な能力だろう。
世界と意識のシミュレーション
Simulation of the universe and consciousness."事件後、藤村は東北のある病院にしばらく入院していた。病状を理由に入院先の詳細は公開されなかった。またこれまで戸沢充則(明治大学名誉教授、日本考古学協会特別委員〈当時〉)が面会して捏造事件を引き起こした理由その他について告白を得た他は、病状悪化を理由に面会謝絶の状態が続いていた。
藤村の弁によれば、功名心から捏造を始めたものの、「神の手」などともてはやされるようになり、プレッシャーから捏造を続けてしまった、とのことである。さらに当初は、捏造は一部と思われていたが、捏造の範囲が相当に広いことが判明し、世論は厳しさを増した。そうした重圧もあってか、解離性同一性障害を発症し、障害者認定を受ける。一方、2003年に入院先で知り合った女性と再婚している。また、右人差し指・中指を自ら切断した。
現在は福島県の障害者就労支援のNPOで勤務している。そして、遺跡等の捏造に関する記憶は精神疾患により残っていないと述べている(週刊新潮2010年11月11日号)。
"旧保育所を、避難所にしているこの施設。避難所で生活をすることが難しい体調の高齢者が10名ほど集まっている。
バラバラにあったテーブルを一つにつなげて人形作りを開始した。
「私、作らない」と言っていたおばあちゃん。他の人が作った人形を見せてあげたり、布地を広げてみたりしているうちに、赤い布地でてるてる坊主を作ってくれた。それで終わりかと思いきや、リボンを首にまき、ボタンを目に見立ててボンドで接着。最後には「髪の毛」ということで黒いフェルトを東部に貼り付けていた。なんというクリエイティビティ!
昔、マグロ漁をしていたという男性。一緒にマグロを作りましょう!という呼びかけに「う~ん」と唸っていたものの、その色は違う、とかその形は違うとかマグロ熱が飛び出してきた。
彼らの多くは最初やる気がないと言っていた。それでも皆さん海と共に生きてこられたのだろう。魚やイカなどの海にまつわる人形を見せてあげると、やる気を出してくる人が多かった。例え津波で家を失っても、昔から海と共に生きてきた彼らの思いが垣間見えた気がした。
それぞれが力作を作り終えた後、施設の職員さんも交えながら一つの大きな机を囲み、用意していったコーヒーを飲みながら談笑をした。さっきまで他人に目もくれなかったお婆さんが、皆にコーヒーが入っているか気配りをはじめた。そんな様子を見ながら施設の職員の方が私にこう言った。「作業後も、作ったものを話題にして会話ができるのがいいですね。本当に素晴らしい活動だと思います。頑張ってくださいね。」
震災から3ヶ月、仕事もお金も物資も、時と共に必要なものは変化をしていた。そんな中で以前より強く身にしみて感じたのは、人と人との繋がりへの渇望であった。
先日、電車の中で耳にした言葉。「自制ムードも和らいできたからさぁ、そろそろパーッとやろうぜ」
彼等にとって「自制」とは「ムード」であったのであろうか。
全てが混ざり合い、異臭を発し、どうしようもなく取り残されている家の骨組み。今この瞬間も同じ国内に存在している「あの風景」を見たこの感覚を「自制ムード」では片付けるのは私にはまだ難しい。
被災地は今も被災地であり、日本は今も被災国である。そう心で感じた。
ARTS for HOPE
事務局スタッフ 加藤尚
ARTS for HOPE(アーツ・フォー・ホープ)
http://artsforhope.info/"







